積雪寒冷都市編ストーリー 雪や氷と共にある暮らし ー 厳しい冬を克服し、利用し、楽しむ ー
札幌は1年の約3分の1が冬日(最低気温が氷点下)で、ひと冬の降雪量は約5m。これほど多くの雪が降る大都市は、世界でも珍しいと言われています。この厳しい寒さと雪を、先人たちはさまざまな知恵で克服し、利用し、楽しんできました。冬の暮らしから生まれ、受け継がれてきた独特の習慣や文化もまた、私たちの歴史遺産なのです。
試された、それまでの住宅の常識
住宅の断熱性能や効率の良い暖房、雪に対応する屋根など、北海道の厳しい冬を快適に暮らすための住まいの技術は、現在も日々進化を続けています。
アイヌの人々の住宅は「チセ」と呼ばれ、囲炉裏の熱が土間の地面に蓄積されるなど、暖かく過ごすための知恵と工夫が詰まっていました。一方、和人は当初、高温多湿の気候に向いた伝統的な日本家屋の常識からなかなか抜け出すことができなかったといいます。入植して最初に建てた粗末な開拓小屋が相当寒かったであろうことは容易に想像できますが、そこから脱してようやく建てた日本家屋もやはり寒く、布団の襟元が吐く息で凍ったなどの苦労話が数多く伝わっています。
屯田兵には最初から住宅が支給され、家づくりの苦労がないという点では恵まれていたものの、初期に建てられたのはやはり日本家屋でした。
寒冷地で快適に暮らす住宅への
試行錯誤と発展
移住者を定着させ、経済と産業を発展させなければならない開拓使にとって、防寒のための家屋の改良は急務でした。
明治11年(1878年)、開拓使長官の黒田清隆はロシアで視察した丸太小屋やペチカの防寒性を高く評価します。官舎や学校、屯田兵の家屋などをロシア式で建設し、ペチカの製造法も学びました。しかし、材料の確保が難しい上に構造が複雑で普及せず、やがて時計台や旧開拓使本庁舎に代表されるアメリカ式が主流となります。
とはいえ住宅となると、洋風建築は靴を脱ぐ日本人の生活様式になじみませんでした。そこで、明治10年代前半に屯田事務局長時代の永山武四郎(後の北海道庁長官)は和洋折衷の住宅を建設。その後の住宅建築にも影響を与えました。
断熱性を高め蓄熱効果を持つ建材としてはレンガや札幌軟石などがありましたが、一般には高価で、長らく蔵など限定的な使用に留まっていました。それに代わって戦後に広く普及したのが三角屋根コンクリートブロック造住宅です。雪が落ちやすい急勾配の三角屋根を持つコンクリートブロック住宅の団地は、札幌の暮らしを象徴する風景でした。これにより、ようやく多くの市民が寒さから解放されたとも言えます。
現在、高性能な断熱素材や工法で住宅の断熱性・気密性は格段に向上しました。
エネルギー効率の良い暖房器具の改良も進み、積雪寒冷地での暮らしは快適に進化しているのです。
北海道開拓の村で、寒冷地
住宅の黎明期を見る
北海道開拓の村では、開拓小屋や屯田兵屋、駅逓所、商家など、明治時代のさまざまな住宅を見ることができます。旧有島家住宅は、明治37年(1904年)、札幌郡白石村(現在の札幌市白石区)に建てられた和洋折衷の家。
上げ下げ窓などの洋風意匠が一般住宅にも取り入れられ始めた頃の建物で、家の中では純和風に近い生活でした。
北海道ならではの進化をとげた除雪
気温が低い北海道の雪はサラサラとしており、また踏み固められると容易には溶けない氷盤になるのが特徴です。
日本に古くから伝わる除雪道具の一つが、「コスキ」などと呼ばれるボートのオールのような形をした一枚板の木製スコップ。湿った重い雪を切り分けながら捨てるのに適していました。北海道ではサラサラの雪に対応するために、3面を縦板で囲んで雪が落ちにくい工夫が加えられます。やがて、大量の雪を押す雪押し(ダンプ)、より少ない力で遠くに投げ飛ばす道具、氷盤を安全に割る道具なども誕生。暮らしの中で、今も少しずつ改良され続けています。
そして、市民生活に欠かせない交通を雪から守ることは、長年にわたって行政や交通事業者の課題でした。雪対策として、地下鉄南北線の地上走行区間では、軌道全体を金属製のシェルターですっぽりと覆う方法を採用しました。また、冬の札幌市電の走行を助けるのは、雪を豪快に跳ね飛ばすササラ電車。札幌の冬の風物詩としても知られています。ササラとは竹ひごを束にしたブラシのこと。弾力性に優れ、回転させればレールを傷つけることなく雪を遠くへ飛ばせるとあって、札幌では大正時代から活躍しています。大雪でバスが動かない日でも路面電車は動いていることが多く、市民からの信頼も絶大。電車事業所では現在、常設の見学コースなどの整備が進められています。
雪をエネルギーとして利用する
「利雪技術」
彫刻家のイサム・ノグチがデザインを手がけたモエレ沼公園。そのシンボルであるガラスのピラミッド「HIDAMARI」の内部は、夏になると温室のように暑くなってしまいます。それを快適な温度に保つのが、冬の雪を利用する冷房システムなのです。
毎年3月に、公園内に積もった雪を専用の雪倉庫に運び入れます。その雪が融けた冷水を熱交換機に循環させることで、各部屋に冷えた空気が送り出されます。そして、各部屋の暑い空気が熱交換機を通して戻り、温まった水が雪倉庫内の雪をさらに融かして冷水を発生させるという仕組み。通常の冷房システムで冷水を発生させるためには電気やガスなどの熱源が不可欠で、必ずCO2が発生してしまいます。一方、雪冷房システムでは雪融けの冷水を利用するので冷やすための熱源が必要なく、CO2を発生させないというメリットがあります。
また、札幌駅北口広場に設置されているのが都心北融雪槽。地域冷暖房プラントからの熱水を熱源として融雪槽の内部の温度を40℃前後に保ち、雪を融かしています。都心の雪を都心で処理することで、排雪用ダンプトラックの移動距離や移動時間を大幅に短縮し、比較的早く排雪が進むので道路幅が確保され渋滞が避けられるなどのメリットがあります。融雪槽内の温水によって融かされた雪は、沈殿物を取り除いた上で直接下水道に流されます。また、融雪の必要がない夏には、災害時の防火用水槽としても有効利用されています。
かつては除雪して捨てるしかなかった雪を天然のエネルギー源として活用し、CO2削減にもつながる利雪技術は、積雪寒冷地のこれからのあり方を示しています。
雪や寒さを楽しむ気持ちを
持ちながら
朝起きてカーテンを開けると、窓の外の風景が真っ白に変わっていることがあります。夜の間に降った雪が昨日まで見えていた屋根の色や道路のアスファルトを覆い尽くし、澄んだ空気がつくる濃い青空を背景にキラキラと輝く風景は、どんなに見慣れていても美しいもの。「また雪かきか、うんざりだな」と言いつつも、雪景色を見た瞬間には思わず笑顔になってしまう人もいるのではないでしょうか。
これほどの雪に囲まれて長い期間を過ごすからには、それを楽しまない手はありません。札幌の子どもたちは、雪だるまを作ったりそり遊びをしたり、穴を掘って秘密基地を作ったりと、思い思いの工夫をして遊びます。大人たちの中にもまた、冬ならではのファッションを楽しんだり、冬キャンプを満喫したり、サウナから雪の中に飛び込んだり、玄関先にスノーキャンドルを作って灯したりして楽しむ人が少なくありません。冬を楽しもうとする気持ちは、生活の知恵なのかもしれません。
また、昭和25年(1950年)に第1回を実施し、今や国内はもちろん、海外でも広く紹介される「さっぽろ雪まつり」や、アメリカ・ニューヨークのロックフェラーセンターのクリスマスツリーを参考にして、昭和56年(1981年)に始まった「さっぽろホワイトイルミネーション」など、大通公園の冬のイベントは市民はもちろんのこと多くの来訪者を楽しませています。
そして、冬の厳しい寒さがあるからこそ、暖かい春を迎える喜びが大きいということも、北国で暮らす私たちが実感している楽しみの一つであると言えそうです。
市民の楽しみだった、
中島公園の氷上カーニバル
「市民が家に引きこもりがちな冬の生活を変えたい」と考えた札幌スケート協会が、大正14年(1925年)から中島公園の池で開催したスケートの祭典。会場は無数の電球で照らされ、スピーカーから流れる音楽に乗って仮装した市民たちが趣向をこらした滑走を披露しました。戦前は、現在の雪まつりのような冬の風物詩でした。
寒さが育んだ札幌の食文化
「北海道では冬に部屋を暖かくして半袖シャツで過ごし、アイスを食べる」という話がメディアでしばしば取り上げられます。実際に、高気密住宅の室内は暖房で暖かく、アイスや冷たいビールが欲しくなるもの。厚着をしてこたつに入り、背中の冷気に震える東京などの冬とはまるで違います。一方、氷点下の街を歩き体が冷え切ったところで味わうラーメンは格別で、スープ表面の油分で冷めにくい味噌ラーメンなどは、冬に味わってこそその真価を発揮します。
また、札幌では寒冷な気候を利用した農業の研究や実験が明治初期から行われてきました。明治9年(1876年)に開拓使のお雇い外国人として札幌に赴任したエドウィン・ダンは、真駒内に牧場を開設し、酪農や畜産、乳製品(バター、チーズ、練乳)の製造などを指導。やがて北海道で酪農や畜産が発展する基礎を築きました。
札幌の伝統野菜である巨大なキャベツ、札幌大球は、まずそれ自体が雪の下などで保存できる冬場の貴重なビタミン源。そして、それを使うニシン漬けは、北海道の初冬の寒さがなければおいしく作ることができません。
鉄道唱歌に歌われた、
雪の
藻岩山
「汽笛一声新橋を」で始まる鉄道唱歌は、明治時代の国文学者・大和田建樹が作詞した長い歌。実は北海道編もあり、明治39年(1906年)に発表された「北海道唱歌
北の巻」の中に札幌の四季が歌われています。
冬景色の代表として登場するのが「藻岩の山の雪の朝」。湿り雪で木々に花が咲いたように見える美しさは今も変わりません。
気軽に楽しむウインタースポーツ
昭和47年(1972年)に冬季オリンピックが開催された札幌。ウインタースポーツは昔から市民にとって身近なものでした。
日本に初めてスケートが伝えられたのは明治10年(1877年)のこと。札幌農学校(後の北海道大学)の教師だったウィリアム・ブルックスが、アメリカから持参したスケート靴で学生たちに滑って見せたのが最初とされています。やがてスケート熱は一般市民にも広がりました。高価な輸入品のスケートを取り寄せたり、地元の鍛冶屋さんに見よう見まねで作ってもらったりして、中島公園や道庁の前庭などで滑ったようです。
一方、スキーが札幌に伝えられたのは明治41年(1908年)。前年に札幌農学校から改称した東北帝国大学農科大学教師だったハンス・コラーが母国から用具を取り寄せて学生たちに紹介したと言われています。
学生たちは三角山まで足を伸ばし、スロープにジャンプ台を作るなどして楽しみ、山々を縦走する際の拠点となる山小屋がいくつも建設されました。昭和3年(1928年)の秩父宮様来道やその後の宮様スキー大会開催をきっかけに、スキーもまたスケートと同様に、市民が気軽に楽しむスポーツとして定着しました。
現在は、市内の小学校の授業でスキーが教えられることもあり、スキーは市民には身近な存在です。スキーやスノーボードに適した気候と地形を兼ね備えた大都市は世界でも珍しく、ナイター照明のあるスキー場で仕事帰りにひと滑り、というライフスタイルも可能。市内には、都心から近い札幌藻岩山スキー場、ボードパークが楽しめるさっぽろばんけいスキー場、温泉街に近くゴールデンウィークまで豊富な雪に恵まれる札幌国際スキー場など大小さまざまなスキー場が充実しています。
市内のスキー発祥の地である三角山、宮様スキー大会発祥の地である宮の森には現在スキー場がありませんが、その名残とも言えるのが、周辺にある大倉山、宮の森、荒井山のジャンプ競技場。ジュニア大会から国際大会まで毎年数多くの大会が開催され、世界最高水準の競技を観戦することができるのも、ウインタースポーツ都市・札幌の魅力の一つなのです。
ストーリーに関連する文化財
文化財の名称 | 指定等の状況 | 所在地 |
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チセ | 指定なし | 南区小金湯27番地(札幌市アイヌ文化交流センター) |
開拓小屋 | 指定なし | 厚別区厚別町小野幌50-1(開拓の村内) |
旧永山武四郎邸 | 道指定 有形文化財 |
中央区北2条東6丁目 2番地 |
三角屋根コンクリート ブロック造住宅 |
指定なし | 北区、屯田など |
旧有島家住宅 | 指定なし | 厚別区厚別町小野幌50-1(開拓の村内) |
昔の除雪道具 | 指定なし | 西区西町南21丁目3-10 (手稲記念館)など |
地下鉄南北線の シェルター |
指定なし | 地下鉄南平岸駅から真駒内駅区間 |
ササラ電車 | さっぽろ・ふるさと文化 百選 |
中央区南21条西 16丁目2-20 (電車事業所) |
モエレ沼公園 | 指定なし | 東区モエレ沼 公園1-1 |
都心北融雪槽 | 指定なし | 北区北7条 西3丁目 |
さっぽろ 雪まつり |
指定なし | 中央区大通西 1~12丁目 |
大通公園 | さっぽろ・ふるさと文化 百選 |
中央区大通西 1~12丁目 |
中島公園 | さっぽろ・ふるさと文化 百選 |
中央区中島公園 |
エドウィン・ ダン記念館 |
国登録有形文化財 | 南区真駒内泉町1丁目 6-1 |
札幌大球 | 指定なし | 中央区北1条東4丁目8-8(札幌大球応援隊事務局) |
スキー・ スケートの伝来 |
さっぽろ・ふるさと文化 百選 |
中央区宮の森1274(札幌オリンピックミュージアム) |
札幌藻岩山 スキー場 |
指定なし | 南区藻岩下1991 |
さっぽろばんけいスキー場 | 指定なし | 中央区盤渓410 |
札幌国際 スキー場 |
指定なし | 南区定山渓937 |
三角山 | 指定なし | 西区山の手 |
大倉シャンツェ | さっぽろ・ふるさと文化 百選 |
中央区宮の森1274 |
宮の森ジャンプ 競技場 |
指定なし | 中央区宮の森 1条18丁目 |
荒井山 シャンツェ |
指定なし | 中央区宮の森902 |
藻岩原始林 | 国指定 天然記念物 |
藻岩山 |
※上記一覧には、公開されていないものもあります。
ストーリーに関連する文化財を
めぐってみよう!
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1
三角屋根コンクリートブロック造住宅
(屯田団地)高度成長期の1970年、広大な土地に800戸を超える住宅を建設。堆雪対策の三角屋根と、コンクリートブロックを使った外壁が特徴です。
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2
モエレ沼公園
設計を手掛けたのは、世界的に著名な彫刻家イサム・ノグチ。「全体をひとつの彫刻作品とする」というコンセプトのもと造成された総合公園です。
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3
昔の除雪道具
主に木や竹を使用し、体型に合わせて手作りされることが多かった昔の除雪道具。効率的に雪かきができるよう、様々な工夫がされていました。
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4
旧永山武四郎邸
明治前半期、第2代北海道庁長官・永山武四郎の私邸として建てられました。和洋折衷上流住宅の先駆け的存在です。
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5
スキー・スケートの伝来
北欧で始まったスキーは、明治時代に日本に渡り、札幌へと伝わってきました。スケートは、札幌が日本で初めて行われた地とされています。
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6
大倉シャンツェ
1932年開場。札幌オリンピック開催に伴い改修され、大倉山ジャンプ競技場と改称されました。市内を一望できる観光地としても人気。
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7
荒井山シャンツェ
札幌市で最初の、そして現存する最古のスキージャンプ台。ミディアムヒル、スモールヒル、2つのジャンプ台は小中学生に利用されています。
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8
中島公園
市のほぼ中心部に位置する中島公園は、豊かな水と緑を有する市民の憩いの場。日本の都市公園100選にも認定されました。
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9
旧有島家住宅
近代文学の代表作家の1人有島武郎が、1910年から1年ほど住んだ建物。洋風意匠を取り入れ始めた頃の、貴重な建物です。
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10
宮の森ジャンプ競技場
大倉山ジャンプ競技場と共に新設された、ノーマルヒルの競技場。札幌市長杯サマージャンプ大会などが開催されています。
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11
さっぽろばんけいスキー場
札幌中心部から車で約20分、地形豊かな17のコースが揃っています。市街を一望できる夜景は必見で、21時までたっぷり遊べるのも人気のポイント。
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12
ササラ電車
ササラとは竹製ブラシのこと。大雪の翌日、路面電車の軌道敷に圧接したササラを回転させ雪を跳ね飛ばして走行する光景は、北海道の冬の名物。
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13
藻岩原始林
札幌市のほぼ中央に位置する藻岩山(標高531m)の一部。代表的原始林であり、稀有の森林植物相を存することから学術上価値の高いものです。
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14
札幌藻岩山スキー場
札幌市内の夜景を見ながら滑るナイタースキーも人気です。全10コースで、スノーボードは全面禁止。
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15
エドウィン・ダン記念館
ダンは北海道開拓使に招かれた外国人指導者の一人。記念館の中には、昭和47年頃からの真駒内の写真が多数展示されています。
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16
札幌国際スキー場
北海道屈指のパウダースノーと積雪量。3.6㎞のロングクルージングができるコースもあり、初心者から上級者まで楽しめます。
文化財周辺の
おすすめ観光スポットを紹介!
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カフェ崖の上
定山渓の温泉街から少し離れた森のなかにひっそり佇む隠れ家カフェ。高さ40メートルほどの崖の上に立つわずか10席の店内からは美しい定山渓の風景と野生動物が望め、ゆったりとした時間を過ごせます。
札幌市南区定山渓567-36
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ジェラート&ベイクホワイト
「ジェラート&ベイクホワイト」では北海道産牛乳のイタリアンジェラートが楽しめ、人気の「どらパン」もあります。濃厚でさっぱりしたクリームが姉妹店のパンケーキでサンドされ、テラス席から藻岩山を眺めながらスイーツを楽しめます。
札幌市中央区南19条西16丁目7-7
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鬼はそと福はうち
昼はカレーうどん専門店。夜は石庭のある趣のある店内から、札幌夜景を楽しみながら、A4・A5ランクの北海道産黒毛和牛をすき焼きやしゃぶしゃぶのコースで堪能できます。
札幌市中央区伏見1丁目3-11
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サッポロテイネ
札幌オリンピックが開催された手稲山に広がる、標高1000m以上の本格的なスキー場です。幅広い層が楽しめる全15コース完備。
オリンピアスキーセンター:札幌市手稲区手稲本町593-17
ハイランドスキーセンター:札幌市手稲区手稲金山172 -
北海道立真駒内公園
歴史あるリンクは冬期間は一般に有料開放されています。公園内には3kmの周回コースがあり、冬は歩くスキーやウォーキングを豊かな自然を感じながら楽しむことができます。
札幌市南区真駒内公園3-1
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和洋折衷喫茶 ナガヤマレスト
旧永山武四郎邸及び旧三菱鉱業寮の中にあるフォトジェニックな和洋折衷カフェ。懐かしい洋食やパフェなどのスイーツが楽しめます。
札幌市中央区北2条東6丁目2番地 永山記念公園内
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ヌーベルプース大倉山
仏語で「新芽」を意味するヌーベルプース。シェフは、フレンチの技法や伝統に和食の文化を加えた、新しい料理の『芽吹き』に挑戦しています。
札幌市中央区宮の森1274 札幌オリンピックミュージアム アネックス2F
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- 発行
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札幌市歴史文化のまちづくり推進協議会
(事務局:札幌市市民文化局文化部文化財課) - 札幌市中央区北1条西2丁目札幌時計台ビル10階
- 電話 011-211-2312
- 令和5年3月